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5、支配的。



ところで、人間には感じ方というものがあって、なにかの景色全体を見ていても、あるいはその中の一部分だけを見ていても、すべての色をまんべんなく見ているワケではない。

要は、その景色とか、見ているものの全体としての傾向、そしてその支配的な色と模様の特徴を見ているのである。何かしらの印象として残るものを見ていて、そして抽象化し、それを自分にとって必要な符号・サインとして記憶に残している。

人間は、自分が興味のあるものしか見ないのである。たとえ無意識であっても、何らかの目的や理由があって見ているのである。この目的や理由から、見えるものの見え方が決まって来るし、識別され、選別され、そしてまた関連付けられ、何らかの意味を持つものとして人間に感じられ、記憶にも残り、そして堆積していって、そしてその印象といったものが最適化・パターン化してゆく。

つまり、抽象化されてゆく。要するに、こうしたことが符号化されていって、何らかのイメージとして象徴化して行くのである。さらにまた、それが無意識の情緒や感情にも反映してくるのである。

支配的・主導的でないもの、副次的で主な傾向からハズレたもの、関係のない色は、どうでもよいものとして一応度外視して見ているのである。大事なことは全体としの傾向であって、そして、それをまとめて整理し、関連付けて、集約して見ているのである。つまり、そういうことを支配的というのである。おおよそ、だいたいという意味である。

そしてそれが、ものの色を全体として代表しているのであって、そしてそれがものの色として見えてくるのである。こうした支配的な色の模様や変化でもって、ものの「色」を理解しようとしているのである。あるいはまた、そうやって理解が出来るのである。こうしたことが「支配的」だという意味である。

戻る。             続く。


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