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自(みずか)らの肉体と感覚がそれを要求し、指向し、そしてまたそうした機能と役割においてこそ、この感覚の本来の機能のすがたが現れてくるのである。その本来の意味と理由を持ち得るのである。こうした機能においてこそ、その感覚は自分の感覚たり得るのである。 だとすれば、それは自分自身の、そしてまた自分自身の感覚そのものの、存在理由であると言わざるを得ないのである。「理由」は意識の世界の中だけにあるのではなくて、自分自身の肉体の感覚や、その生理作用の役割と機能の中にも存在するのである。 あるいは、それが生きて活動している肉体のリズムや抑揚の中にも存在すると言える。生き方や生活のリズム、ライフスタイルがそうである。そうした意味で私たちは、あらかじめ定められ、条件づけられ、方向づけられているのである。そしてまた、それが私たちの存在の理由や必然性となっているのである。 |