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祖先からの言い伝えや、習慣や、シキタリや、オキテなどではなく、自分自身の意思で自然と関わりはじめたのである。 だれか他人や、自分の外からの、オキテといった社会のもの言わぬ強制や押し付けでもなく、家父長制の家長からの命令でもなく、他民族の支配による恐怖や強制からでもなく、古代インドのような身分制度に基づくシキタリや慣(なら)わしでもなく、ただ、自分自身の個人的な、生きて行くためという理由からそうせざるを得なっかのである。 人間というのが、イヤでも社会というのを介さずに、個人として直接に自然と向き合い、かかわり始めたのである。人間が、そして個人というのが直接に、純粋なカタチで自然とかかわり始めたのである。 そしてまた、そうすることによって、あるいはそれを仲介して新たな、それまでとは異質な人間関係を形成し始めたのである。 人間と自然とのかかわり方というのが、個人としての人間精神の活動として現れ始めたのである。人間というのが、自分自身の心の中をのぞき込むようになり、そしてまたそうすることによって、そこからまた、自然や社会というのを理解し始めたのである。 |
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