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しかしまたその時点で、「人間」というのが変わってしまった。その意味や理由、そして生存の仕方といったものが変わってしまったのである。人間というのが、それまでとはまったく別の人間になってしまったのである。自分がだれで、どこにいて、なにをしようとしていて、どう生き、そしてまたどうあるべきか、といったことが自分の中で意識されてくる。 いままで知ることも、気づく必要もなかったことに、いやでも思い知らされることになる。自分で自分を問い、自分で自分を意識し始めたのである。自分が生きている意味や理由といったものに向き合わされ、気づかされてもくる。気づかざるを得ず、そうしたことが確かな明瞭なものとして見えてもくる。 自然と社会といったものが、それまでとは全然別のものとして見えても来る。この異質で未知の不可解だったものが、いやでも自分に思い知らされ、気づかされ、理解されもして来る。 いままで気づかなかった新たな事実や事柄、データといったものが見えても来るし、気づかされ、知られても来る。そして同時に、それを理解し運用し管理・制御し得る自分の立場というものにも気づかされる。要するに、そうせざるを得なかったのである。それしかなったのである。 |
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