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3、発見。



自分というのが自分の中で何かにめざめ、あるいは何かを見つけ、発見し、新たに出発してゆく以外になかったのである。そうやって出て行くしかなかったのである。そのキッカケも、理由などといったものも、そんなことはどうでもよかったのである。なによりも大事なことは、自分が今いるこの場所から出て行くことさえできれば、それでよかったのである。それがすべてなのであり、また、そうするしかなかったのである。

だから僕は何かをさがし求め続けたし、いつでもどこでもそうであり続けた。ものカゲや暗がり、あるいは、まばゆい春の陽光のあおぎ見る空のかなたに何かを求め、見つけようとしたのである。なにげない日々の暮らしの中で、自分がいま生きているこの現実の中で、それを見つけようとしていたのである。そうするしかなかったのである。

ありきたりな、なにげない日々の暮らしの情景の中の通り道や、毎日見ているドアや、建物や、壁や、窓や、木立の中や、山のカゲ、あるいは、暮れなずむ夕日のかなたや、朝の陽光のまばゆい光の中や、まぶしく反射する水面や、景色の反射面の中、あるいはまた、風の音や、そよぐ枝葉の波打つ様子の中に何かを見つけ、そして「見た」と思えて来てならなかったのである。

あるいはホントは、「何か」をどうしても見つけなければならなかったのである。そして、自分でもそれがいったい何なのかわからないけれども、確かに何かを見たと思えて来てならなかったのである。そう思わなけければならない。そうでなければならない。それは、どうしても「見えなければならないもの」だったのである。

戻る。            続く。


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