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4、たましい。



しかし、それは無意識の、意識されざる感覚だけが知る、衝動と本能の世界でもある。そしてまた、それらすべてを条件付け方向づけているのが、私たちの肉体の中に宿る感覚の記憶であり、そしてそれを生み出し条件づけて来た文化と、郷土や地球そのものが持つ自然環境だったのである。

さらにはまた、主体的かつ決定的なのは、自分自身の肉体の中で生き続ける「文化の記憶」なのである。文化とは、自分の肉体の中で生き続ける、習慣や習性の、無意識の反射作用なのである。そしてそうしたことが、どうしようもなく自分を支配し、いざない導いているのである。

私たちは、そうした自分自身の肉体の記憶と、それを生み出した文化と自然条件によって支配され、方向づけられ、運命づけられてきたのである。そうならざるを得ず、そうするしかなく、そうしてのみ自己を保存し継続してゆくことが出来たのである。

だからこそ、いまなお、私たち人類という種族が生き残っているのであって、そしてまた、いまも生きて行けるのである。このような歴史的継続性が、種としての自己の「内的同一性」なのである。俗に「たましい」と呼ばれているものである。

そしてまた、その範囲の、そうした条件下の、その限りでのみ、それぞれがそれぞれにとっての、民族集団や国家、あるいは個人たり得たのである。

戻る。            続く。


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