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私たちが何を見ていて、そしてまた、何が見えているのかというのは、外の世界が自分の中で記号化されていて、それが何かの印象やイメージとして映し出され、浮かび上がってきているのである。 当初、感覚の断片的な記号に過ぎなかったものが、つながり、重なりあい、織り合わされて、そしてそれが連続したリズムとなって、肉体の感覚器官の機能の仕方として堆積され、特殊化し方向づけられて来たのである。 こうした、種としての自分の中で堆積されてきた感覚の、機能の仕方やリズムが、私たちが見ている色やカタチの正体であって、その見える範囲や程度、傾向や好みを方向づけているのである。まさにそうしたことが、私たちが見ているものの起源やその正体、そしてその意味を決定づけて来たように思えるのである。 そうしたことが、自分の肉体内部で感覚同士のアンサンブルやその音色(ねいろ)、あるいはまた、感覚の、得体の知れない衝動やシルエットとなって映し出され、聞こえてもくるのである。 |
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