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3、種。



そして、これが種としての肉体、または祖先の記憶なのであり、それが人間の記憶の仕方なのであり、その型式なのである。自分自身の肉体のカタチや、その機能の仕方として保存され、受け継がれて来ていて、そしてそれが私たちの指向する方向を決定しているのである。

そして、それこそが自己の根源であり、自己の存在の必然性であり、同一性なのである。それ以外の存在の仕方というのを、人間は持たないのである。

そしてまた、そうしたことが何らかのハズミやキッカケで、感覚のエラーやノイズとともに自分の中で映し出されて来るのである。なんの脈絡もなく、前後の繋(つな)がりもなく、現実との係わりもないところで、それだけが突然、現れて来るのである。

だれもいないのに感じる言い知れぬ人の気配や、そよぐ風の中から聞こえてくる「ささやき」や、嵐(あらし)の夜に林の中から聞こえてくる「叫び」や、吹雪の中でさ迷い乱れる雪の波間に、それが何かのシルエットとして感じられ、そして、見えてもくるのである。

戻る。            続く。


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