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それらは、たしかに妄想なのかも知れないが、それらは自分の精神が映し出した妄想の、イメージや「つぶやき」なのであって、自分の中にあるもっとも根源的で本質的な、そして何よりも大切なものが映し出されているのである。 自分の中の根源にある、得体の知れない衝動的で本能的なものだからこそ、言葉や理屈で表現できずに「妄想」として現れてくるしかなかったのである。 そうしたことが自分の心の中で映し出され、イメージのノイズや不具合、あるいは、心の中の迷いとして、心臓の鼓動の音が何かのうめき声や、「ささやき」となって聞こえてもくるのである。 しかし、それらはやはり妄想なのであって、妄想は妄想でしかないのである。そしてまた、だからこそ妄想なのである。妄想は思考の論理的なつながりや、現実の実際にあった出来事や、そうした記憶とは切り離されたところにしか現れて来ないのである。 だからこそ妄想なのであって、妄想でしかないのである。非現実であり、非日常の、常識という思考回路がどこかで切断されたところにしか現れて来ないのである。 |
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