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しかしまた、そうしたことが現実の世界の中から、現実を透過して、現実を素通りして、直接見えてもくるし、感じられてもくるのである。心の中が見えてくる場合もある。無限の変化をくり返しつつ現れては消えて行く、花やシャボン玉の雲模様として。 ためらい、とまどい、楽しみ、恐怖や願い、などといった様々な感情が、現実から切断されたところで、何かしらのイメージとして浮かんできているのである。揺れ動く心の動きや感情といったものが、コトバになる前の、あるいはコトバで表現できずに、それが何かしらの色模様として心の中で映し出されているのである。だから、それが何かと問われても、「何色」としか答えようがないのである。そしてまた、コトバにならないものが「見えている」のである。 |
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