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それは現実にないもの、現実にあってはならないものなのである。それは何かの象徴としての女、ないし、理想としての女のすがたなのであって、それは僕の観念の中だけに存在する女なのである。 それは、主観が客観として感じられてきて、そして観念の世界の中で限りなく現実からは離れて行って、抽象化され、一般化されていって、そして、それがなにか普遍的なもののように思えてくるのである。限りなく純粋で透明な、そしてどこまで行っても変わることのない永遠の世界のように思えてくるのである。 それは理想であり、夢であり、祈りの世界なのである。それは自分の精神の中にしか存在しないものなのであるが、そうしたことが現実に生きている女のすがたに見えてくるのである。あるいは、自分が求め願う女の姿やカタチとなって見えてくるのである。 自分の中にあった見知らぬ願いといったものが、現実の女の姿となって象徴化されているのである。それは僕にとっては、どうしても必要なことなのであって、なんとしても、どうしても象徴化されなければならないものだったのである。 それは、女のすがたを通して現れてくる。映し出され、写り、移ってくる、といってよい。女の姿やそのカタチ、しぐさやコトバづかい、情緒や感情のリズムとなって現れてくるのである。そして、そうしたことに自分は気づかなければならないし、そしてまた、それが見えても来なければならないのである。 |
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