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見える・・・?、 何が。 印象というのが、なにかの象徴として感じられてくるのである。 「なに」って、自分の観念の世界にしかないものだ。それが現実の印象として、何かしらの論理のつながりとして、感じられてくるのである。自分のなかにある、なにかを求める必然性といったものを、現実の世界に見ているのである。 もちろん、実際に見えるすがたやカタチではなくて、その見える現実のすがたから、自分自身の存在の必然性を見ているのである。現実を支配して貫いている、規則や秩序の必然性を見ているのである。このような理想と現実との一致が、女性のすがたに見る「美しさ」の秘密ではないだろうか。 かつて自分の中にあって、失われたもの、見失ったもの、なくしたもの、忘れたもの、そしてまた、自分の中で欠けているもの、ぬけ落ちているもの。そうした、どうしても必要なものであるにもかかわらず、自分の中で見失われたものを、女性のすがたの中に追い求めているのではないだろうか。 そして、それは同時にまた、自分自身に対する自覚でもあり、自意識でもあり、「めざめ」と言えるものでもある。自分の中に何かを発見したのである。そうしたことが目に見えるカタチで、現実の人のすがたや、絵画や、彫像や、あるいはどこかの風景の中から見えてくるのである。 |
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