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2、強制力。



もちろん、それは文字や言葉の届かない世界なのであって、意識されざる、意識の届かない無意識の世界なのである。要は、そうしたことが何か言い知れぬ直感や本能の暗示として感じられて来る、ということなのである。どういうわけか理由もわからないまま、それへと導かれ、求められ、誘われてゆくのである。

しかしそれは実のところ、自分自身の中にあって自分自身が求め、もともと自分自身が指向している方向性なのである。それは自己の必然性であって、そうなるしかなく、そうならざるを得ず、それ以外に選択の余地がないことのように思えてくるのである。

それは意識されざる暗黙の強制力であって、気づかないまま、意識されることのないままに自分を支配して追い立てて行く、そうした絶対的な強制力なのである。

それは、文字や言葉などではなく、より本質的で、より根源的な自分自身の肉体のカタチや構造、そしてその機能と役割自体が求める感覚の方向性なのである。自分の意思とはなんら関係なく、自分自身の肉体がそれを求め、それへと指向してゆくのである。

それは自己の内部にある必然性なのであって、それがよみがえり、めざめて、自己を現してくるのである。それが無意識の衝動であり、本能であり、そしてまた、意識されざる印象と象徴の世界なのである。

戻る。            続く。


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