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しかしそれでは、その見える色やカタチの「意味」といったものは、どうやって覚えたのだろう? それが無意識の本能や衝動といったもので、なにかの象徴として見ているのである。また、それが感覚器官の感じ方や機能の仕方といったもので、感覚の生理や神経の作用の仕方や形式として記憶され、保存されてきたものなのである。 そしてまた、そのようなものとして後世の子孫の肉体の中に伝えられてきたのである、肉体の機能というよりも、その機能の仕方として記憶されてきたのである。生理や神経の作用のバランスや傾向として、そしてその秩序や順序の形式として保存され、記憶されてきたのである。 感覚器官の物理的構造としてではなく、それの作用の仕方として記憶されたのである。感覚というシステムの上で無限に繰り返され、蓄積されてきた機能の仕方として、そのリズムや様式として保存されてきたのである。機能の仕方の、その時間的変化の形式として記憶されたのである。 だからまた、自覚も意識もされることのない「衝動」としてしか現れて来ないのである。「形式」自体は、それだけで、このようにして自己を現わしてくるのである。 |
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