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あるいは、衝動といったものそれ自体が、このような捉(とら)えどころがなく、意識されることのない感覚自体の特性や、それが機能する仕方を、もっとも原始的なカタチで表現しているのである。感覚といったものが、何かしらの衝動でもって自らの存在理由を現してくるのである。 そうした「衝動」といったものは、実際に自分が経験したことのない記憶であって、現実の出来事にない記憶、現実とは関係のない記憶なのである。だからそれは、もともと初めから感覚自体が持っていた記憶、ないし、種として保存されてきた祖先の記憶としか言いようのないものなのである。 だからまた、自分では意識しようのない無意識の世界の、感覚自体の現実から切断されたところで、現実を無視した直接的で直感的な感じ方として踊り出てくるのである。とうとつに、なんの前ぶれもなく、前後の脈絡を欠いたところで、いきなり現れてくるのである。前後の脈絡を欠き、情緒や思考の連続性が切断されたところで、いきなり現れてくるのである。 |
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