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3、再発見。



自分というのが他人から与えられたものでも、仕組まれたものでもなく、自分で自分を生きているのである。そうした主体性が意識され、自己の内的同一性や存在の必然性といったものが自覚されてくるのである。まさにそうしたことが、自己のめざめであり、発掘であり、再発見であり、復活といったものではないだろうか。

しかし、注意しなければならないのは、めざめにしろ、再発見にしろ、復活にしても、そうしたことのすべては、そうしたことが、それ以前に自分の中のどこかにあった、ということなのである。失われ、見捨てられ、忘れられていたものが、自分の中で再度発掘され、新たに再生され創造されたということなのである。

ということは、発掘されるもの自体が自分の中にもともと無いのであれば、それは発見することも再生されることもない、ということなのである。だから、「めざめ」とか復活、ルネッサンスなどといったものは、もともと自分の中にあったものから出発しているのであって、自分の中にそうしたものが無ければ出発のしようがないのである。だから、それが無いのであれば滅ぶしかないということである。

あるいは、自分のすべてを解体して、何もかもゼロから出発することになる。ほぼ「滅び」が約束された出発なのであるが。そうやって文明ないし民族というのが栄華盛衰を繰り返してきたのである。

戻る。            続く。



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