index< 日誌< mぼやけるar象徴 < 「ぼやける-A」p5/


 
4、主観。



だからそれは、たとえ本人がそれと意識していなくても、やはり主観的なのである。なぜなら、たとえ無意識で、本能的で、反射的であったとしても、見る者本人の考えや思いが、そのまま入りこんでいるからである。

そして、そうした「思い」の累積した結果が、無意識の内にその「見え方」となって現れているのである。なぜなら、それなしに目のピント合わせや、視界の調整は不可能だからである。

そして人間は、そうした「見え方」によって、あらかじめ支配されている。その感じ方や考え方を含めて。そしてそこから導き出される行為や、生活スタイルについてもそうなのである。そうした意味で、「ぼやける」というのは意思的であるし、主観的でもあって、人間の思いや感じ方、考え方がそのまま入りこんでいると言える。

戻る。            続く。



index < 日誌 < mぼやけるar象徴 < 「ぼやける-A」p5/