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それでは、自分自身の目とは何か? この世に生まれた後に、後天的に自身で獲得したもの。自身の脳内で反映された映像を、主観的で観念的に意味づけしたものである。 水晶体を通る光学的映像が、目の網膜という生理的映像に変換され、さらに、電気信号に変換され、脳内へと反映される。そしてここで、先入観に基づいた主観的映像、つまり、自分自身の経験や記憶に基づいた「観念的映像」として映し出される。 だから、本来の感覚器官のもたらした映像とは、多少異なるのである。何度か変換が繰り返されたのちの映像なのである。従ってまた、だからこそ主観的・観念的映像と言えるのであって、自分自身が、自分で獲得した映像とも言えるのである。 自分自身の経験とか記憶、そして意識が介入した映像。この主観的映像が、 感覚器官がもたらす客観的・光学的映像と対立しているのである。そして妄想を作りだして、本人を悩ませているのである。 このほかに、「生理的映像」というのも考えられるが、これは、意識と肉体の間にあって、それらを仲介し、主観と客観が入り混じり錯綜した世界を作り出している。意識したり、自覚したりするのが困難な情緒の世界を作り出している。 |
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