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2、たましい。


他に、自己の精神が現れ出る場面や、キッカケがないからである。そして、そうやって個というのが表明される。自分というのが現れる場面となっているのである。

また、そうやって社会の秩序が守られ、保証され、そしてまたそうしたことが、「自分たち」という社会の暗黙の合意事項、すなわち、シキタリやオキテとなっている。あるいは、無言のルールやマナー、作法となっている。

自分たちと自分自身が信じるもの、侵すべからずの絶対の権威、自分たちにとっての唯一絶対の精神的存在になっている。

すなわち、最高尊厳であり、タマシイであり、神が地上に現れたすがたなのである。そしてこれが、東アジア社会の宗教(=儒教)であり、自分たちが信じる信仰であり、心のよりどころになっているのである。

戻る。              続く。


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