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3、分裂。


だから、過去の自分にしても、現在の未知の自分にしても、そのどちらにしても自分というのが分裂して破壊されていて、自分というのが分からなくなった状態で、自分で自分を意識せざるを得なくなっているのである。

自分の精神のなかで自分が見つからず、それを探して、再びそれを確かめようとしているのである。こうしたことは他人の意思、たとえばシキタリや社会制度、親子関係や、利害に基づく上下関係など、あるいは強制などではなく、むしろそれらとは別のもの、予測ができないもの、自分の存在の範囲を超えるものなのである。自分では、どうにもならないことなのである。

しかしそれはまた、自分の外からの強制ではなく、自分自身のなかで行われなければならないものなのである。そしてまた、自分自身のなかでしか行えないものなのである。それは自分の意思であり、そうして、自分で自分を意識しているのである。

戻る。                続く。


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