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絶えることのない変化の中にこそ、自分というのが意識されてくる。そうした状況の中では、常に自分を意識することなしには、自分を見失ってしまうからである。そしてまた、それが、生存のための条件ともなっている。意識され、それへと向かい、指向するというのが、自己の内的必然性となっているのである。 そうしてのみ、自己が維持され得るし、継続して行けるのである。そうやってのみ、自己が保存されてきたのであり、そしてまた、現在も生きて行けるのである。このような自己というのが、現在も生きているということ自体が、これを証明している。それは、種としての内的同一性なのである。あるいは、民族の魂(たましい)といったものなのである。 それは変化であって、生と死、繁栄と没落の、あるいは、嘆きと祈り、呪いや願いといったものなのである。言い換えると、人間が自分の存在を否定すると同時に、新たな自己へと自分自身を復活・再生する場面なのである。 そうでないと、自分が自分でなくなって、自分自身が別のものにならない限り滅ぶ。また、別のものになったとしても自分を失う。滅ぶというのはこのことで、種としての魂を喪失するということである。 |