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そこまで窮迫していて、なおそれでも生きようとする人間はいないのである。たとえ魂は捨てても、身体だけでも生きて行ければ、それでよいのである。自分が誰なのか分からなくなっても、そんなことは、普通の人々にとってはどうでもよいことなのである。 だれも、自分自身の内面の、根本的で本質的な変化といったものを望んだりしないのである。もしそうだとすれば、それは自分がなにか別の者になったということである。だから、そうはならないのである。普通の人々にとっては、そうしたことは望まないのである。それは耐えられないことなのである。 ただ、大義名分として、世間体として、表面上だけでも変わったと「見える」、ということが大事なのである。これが政治であり、イベントや祭りであり、そして何よりも社会の絆(きずな)なのである。 |