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それは、自分の中にしかないものなのであって、それが現実の世界の中に見えるというのは、同時にまたそれ以前に、自分の中でそれが意識されているのである。たとえそれが無意識であっても、それが感じらるということ自体が、それを暗に示しているのである。それは、自分の中にある何か得体の知れないものを映し出しているのである。 自分のなかで、自分自身の何か得体の知れないものを感じているのである。だから、そしてまた、それが現実の世界の中に感じられてくるのである。たとえそれが、非現実的な暗示や示唆、思い込みや錯覚に過ぎないものであっても、やはりそうなのである。 それどころか、このような非現実的な錯覚に過ぎないということ自体が、錯覚としてでしか表現できないものが、現れ出てきているのである。 このような思い込みや錯覚、あるいは、そうした言い知れぬ気配みたいなものを、感じるということ自体が、自分の中で、自分に対して何かを感じているのであって、それが現実の出来事や、見えるものの中に、映し出されてきているのである。これが錯覚なのであって、そしてそれが、自分に感じられて来るということなのである。 |