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しかし、それがはたしてなんなのか、自分でもわからないのである。言葉でも理屈でも、そして何らかの自分の経験や記憶にもないことなのである。まったくつかみどころがないにもかかわらず、自分を苦しめ自分を追い立ててくるのである。 だから、イメージとか音とか、あるいは、何らかの感覚的なものでもって表すしかないのである。言葉で表現できずに、感覚が感じたことをそのまま表現するしかないのである。それが何なのか、明確な輪郭も、形(かたち)も、あるいは理由も実体もわからないまま、自分が感じたままのことを、そのまま表現してゆくしかないのである。 しかし、それがわからないというのは当然なのである。なぜならそれは、いままでの自分に無かったものだからである。あるいは、わけが分からずに、どうしようもなく、自分の中で押し殺し続けてきたものだからである。他にどうしょうもなく、そうするしかなかったものだからである。自分でも知らないまま、忘れられ、失われ、そして自分でも気づかずに捨ててきたものだからである。 そして、それが何なのかと問われても、自分でも知りようが無いのである。だからまた、それが何なのか知ることもできずに、何か得体の知れない、自分でも不可解なものとして、いつまでも自分にまとわりついて来るのである。そしてまた、それをどのように表現したらよいのか自分でも分からないのである。言葉にもならない自分自身が感じたことを、そのまま表現して行くしかないのである。 |
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