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5、合理性。


例えば、現在の私たちが言うところの、「理にかなっている」というのが、つまり、同じことだが、合理性というのが、効率と連動して同じ意味で理解される傾向などもそうでる。どう考えても合理性と効率は別のものであるにもかかわらず、それが同じものとして理解されている。

それは、つまり要するに、近世・近代(14~20世紀)の特徴であり、その時代の、歴史的現実が指向する条件だったのである。私たち人間はこのようにして、気づかず、知らず、意識することがないまま、自分たちにの価値観やアイデンティティーといったものを抱(いだ)き続けてきたのである。

例えばまた、国民国家とは無関係のはずの、民族という概念が民族主義という名の下に、近代国民国家を形成し始めたのもそうである。民族と国家は本来別のものなのであるが、時代という現実の条件が、それを結びつけて考えさせているのであって、これもまた、その時代という枠組みの中でしか現れて来ない現象なのである。

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