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2、非科学的。


無いものが見えるというのは、非科学的に聞こえるが、けっしてそうではない。また、科学だけが正しいというワケでもない。実験と検証によってその正当性が保証し得ない、そうした世界もあるのである。実験も検証も出来ないようなそういう世界もあるのである。あるいはまた、科学でその理由を説明できないか、説明そのものを求めたりもしない、そうした蓋然性や確率の世界もあるのである。

現実にないものが「見える」ということがある。これは、画家が見える女の表情の中から、その精神のなかに入って行こうとするのとも似ている。そうした誤解と錯覚と偶然によって、画家の思い込みと偏見の目でもって、女の表情が理解されてくると共に、それだけが異様に強調された女の顔というのが描きだされる。

確かにこれは女の一側面ではあるが、その全部でも、本質でもないのである。しかしまた、それで十分なのである。それが、これを見る者にとっての求めるものなのである。そしてこれが、客観的な第三者が求める真実のように思えてもくるのである。

事実、このような感じ方や見え方というのが、広く認められているからこそ、それが名作として評価され、誰からも愛されているのである。すなわち、客観的な真実のように思われているのである。しかし、これもまた、際限なく繰り返される、偶然の錯覚がもたらした思い込みの世界ではないだろうか。

戻る。                     続く。


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