index< 日誌 < c信じるもの< 19-79「自分たちZ」p5- |
本来、自分が知らないことについてクチをはさむべきではないし、沈黙すべきであって、それが出来ないのは、そうした自分の考えというのを持たない、あるいは持ってはならない、そうした世界の住人だということである。 そしてまた、これが、たいていの大多数の人間の生き方であり、暮らしのパターンなのである。沈黙するだけでは、仕事にありつけず、誰からも相手にされず、そしてまた、沈黙を破るのは、そうした自分も知らないことについて迎合するということなのである。 しかしまた、迎合してこそ、この世界での権威の下で生きて行けるのである。そしてまた、これが秩序というものであって、その下でのみ、自分の居場所や地位といったものが与えられ、保証もされているのである。だからまた、迎合しなければならないのである。 しかしまた、この迎合するということ自体が、迎合できない人間が居るということを前提にしたものであって、そうである以上、それは排除と差別、蔑(さげす)みを当然のこととして伴うのであって、そしてまた、これが迎合するという意味なのである。 自分のなかで、自分に問いかけるというのを避けているのである。自分はどうなのか、というのが抜け落ちているのである。自分の考えというのが無いのか、あるいは、そもそもの始めからそのようなものを持たないのである。 だからまた、それに気づくこともなく、それが不思議で不可解な怪しいものと、感じることがないのである。だれもがそうだから、自分もそうあるべきで、それが正しいことのように思い込んでいるのである。 |
index < 日誌 index< 日誌 < c信じるもの< 19-79「自分たちZ」p5-
l