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自分がそうした境遇から脱出できる可能性が、現実に存在するようになって始めて、それが「差別」というなんやら忌まわしく、わずらわしい用語となって言い表されるのである。感情的になってくるのである。 人間は、どうにもならないことについて、だれも悩んだりしないし、感情的にもならないし、それを気にかけたり苦しんだりしないのである。すんなりと受け入れるのである。受け入れるしかないのである。 だからまた、厳密に言うと、たとえば中世あるいは20世紀の共産主義世界にあっては、差別の概念自体がなかったのではないだろうか。それはちょうど、中世インドのカースト制度や東アジア儒教世界にあって、それが「差別」であると自覚されなかったのと同じである。 |
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