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3、カタチ。


そうした生き方・感じ方といったものが、自分自身の立場と居場所を指し示しているのである。そうである限り、それは境界なのであって、そしてこの境界こそが、現実世界での自分自身のすがたカタチなのである。

それは囲いの中の世界なのであって、そしてこの境界を出たところの外の世界は、自分にとってみれば、偏見や妄想以外に理解のしようがない世界なのである。そして、つまり、これが偏見や誇大妄想なのである。

偏見とは、このような自分の世界と、その立場というのを反映しているのである。そして、このような自分の立場というのを守るために、そうした自分の限界を越えた現実については、偏見や妄想として排除しなければならないのである。また、そのための「理由」などは、どうでも良いことなのである。要は、排除しなければならない、ということなのである。

そして、それだけが、いまの自分を守ってくれるのである。また、そうしてこそ、自分が自分のままで、ずっとそうであり続けることが出来るのである。従ってまた、そうせざるを得ないし、そうする以外にないのである。そして、そうすることこそが、自分が自分であることの証明になっているのである。そうして自分が自分に納得し、了解し、確かめてもいるのである。

戻る。                   続く。

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