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この「かこい」の向こう側。それは新たな異質な現実なのであって、そしてそれを目の前にするのである。それは自分の目の前にある現実なのであって、自分もそうかも知れないし、そうした生き方が許されるし、それはまた、自分にもできるものなのかも知れない、と思えてくるのである。 いま自分を拘束ている現実の、様々な人間関係や上下関係といったものは、絶対のものではなくて、他の生き方があるのかも知れないし、それは自分にもできるし、それはそれで正しいことで、認められるべきことではないかと思えてくるのである。 いま自分が生きている現実世界の、固定した観念や常識とは別に、それとは別の常識や日常があって、それはそれでまた、当然のことのように思えてくるのである。少なくとも、そうした現実がいま、自分の目の前の現実の世界のなかで、くり広げられているのである。 そうである以上、それは認められるべきであり、認められなければならず、許されてもよい当然の出来事なのである。だから自分もまた、そうであろうとするのである。 |
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