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これは、それ自体がまた、よろしくないことでもあって、それが倫理的にも理性的にも正当化できないものである以上、それはまた、感情でもって理解するしかないものなのである。区別ではではなくて、差別として。序列としてでなくて、蔑(さげす)みとして。反発ではなくて、憎しみや敵愾心として感じられてくる、ということなのである。 またそうやって、そうであることによって人間同士がつながり、拡がり、そしてまた、まとまっているのである。憎しみや怒りと言っても、それ自体がつながりなのであって、交流のカタチなのである。そしてまた、それこそが発展と変異の動機と原因になっているのである。 そうした意味においても、差別と排除は避けることの出来ないものであって、そしてそれ以上に、それは人間社会において必要なもの、なくてはならないものになっているのでは、ないだろうか。 |
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