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これはまた、東アジアという近代以前の世界にあっては、固定した土地からの稲作が、自分たちの生存のための前提であり、絶対の条件となっていたために、より一層、固定化されている。それが絶対的な秩序、なにがなんでも守らなければならない常識、道徳や正義として、そしてその「上下の関係」として固定されてきたのである。 何も変わらないこと。耕作方法、その分配や、その管理と統制のシステムといったものが、何も変わらないということが、こうした社会での絶対的なオキテであり続けたのである。そしてそのための倫理的・道徳的拘束が、システムがシステムとして永遠に存続する条件であり続けたのである。 そしてまた、これが、人間同士の間の上下の関係として、秩序や権力の固定した関係として、正義や常識であり続けたのである。もちろん、そうでない者に対しては排除してきたし、また、排除することが、こうした世界の維持のための絶対的な条件であり続けたのである。 そしてこれを、現在の私たちの感覚からすると差別なのであり、そしてまた、このような差別と序列の世界が「儒教世界」なのである。 |
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