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6、序列。


だからまた、それらをある時点、ある視点だけで取って見ると、それが優劣の違いとして、順位や序列として、あるいは差別や格差として感じられてくるのである。いわゆる一級市民・二級市民、あるいは戦時中の一級国民・二級・三級国民などと言う標語がそうなのである。

あるいはまた、今日の日本人・「非日本人」などと言う造語がそうなのである。これは戦前・戦中の国民・非国民がその表現方法を変えただけのものであって、要は、同じ発想と感覚でもって、同じことを言っているのである。

それは、そうやって、そこで暮らすだれもが納得し、理解し合い、そして安心し、お互いが認め合い、認め合うことが出来るのである。自分たちは同じ仲間(=日本人)であると、思い込むことができるのである。群れて迎合しているのである。そうやって自分たちは、少なくとも安全で安心できると思えてくるのである。

戻る。                  続く。

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