index< 日誌 < v夢の中、 z自意識 < 21-77「ウサギ8:精神の自由」p10 |
自分が、自分自身に対する責任といったものが、どこまで行っても曖昧なままで済むのである。だからまた、安全でもあるし、安心で、保証もされているのである。自分も他人も同じ仲間である、という意味でそうなのである。 どこまで行っても個人というのが存在しない世界なのである。だからまた、これが幸福という意味で解釈されているのである。そうして自己の自意識や存在理由というのが、限りなく希薄になっていって、自分を見失う。アイデンティティーと自己の同一性が失われてゆくのである。 しかしまた、だからこそ、このような古いタイプの人間にしてみれば、自分の中に自分を見つけることが出来ずに、それを他人の中に見い出そうとするのである。そうせざるを得ず、そうするしかないのである。これは本人がのぞんだことでは無いのかも知れないが、自分の生き方としては、それしか残されていないのである。 |