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それを動かし、そしてそれを現実のものにしている、原理といったものを明らかにしようとしているのである。それは自分と世界とのかかわり方なのであって、そうやって現実というのが、そして自分というのが意識されているのである。 それはそうであるもの、そうであるべきもの、そうならざるを得ず、そのようにしかなれず、それ以外にあり得ないものなのである。なぜか? それがそれの歴史であって、そしてその結果としての現実だからである。だからまた、それ以外のものになり得ないのである。 そして、そこから自分というのが意識されているのである。そしてまた、自己の同一性といったものが、それだからである。種として、民族のタマシイとしてそうなのである。自分という概念がそうなのである。そして、そうであり続けるのである。 従ってまた、そのようにしか成れないのである。そうやって自己を保存し、そして維持し、継続し続けるのである。いままでもそうであり、今もそうであり、そしてこれからもそうであり続けるのである。 そのようにしか成れないのである。それは、このような自分自身が持つ、原理と傾向のことを言っているのである。そして、これを失った時点で自分が自分で無くなる、ということなのである。 |
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