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6、パターン化。


従ってまた、このような無限の現実世界を、有限な自分の世界に映し出して反映して行くことになる。そしてまただからこそ、この範囲のことしか知り得ず、知ることも出来ず、また、知る必要もないのである。

しかしまた、これが現実という条件と限界の中で行われる以上、それは限定されざるを得ない。感覚の感じ方や肉体の営みといったものがそうなのである。このようにして人間は、その感覚や生理、肉体の働きといったものが制限され、そしてその中でのみ、それは機能し関係を持ち得るのである。

だからまたそれは、パターン化し形式化されざるを得ないのである。すなわち、これがクセであり、慣れであり、習性や性癖といったものなのである。それへと誘導され最適化してゆくのである。

また、そうしてのみ、それが後の世代へと受け継がれてゆくのである。「学習」ということが摸倣から始まる以上、それは仕方のないことである。どんなことでも始めは、形式的で表面的な外見だけでマネて行くしかないのである。また通常、だれもそれ以上のことを望んだりしないのである。


戻る。                     続く。


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