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もともと多少違うものであっても、あるいはまったく未知の別のものであっても、外見上、表面的な形式に合ってさえいれば、それでよいのである。また、たとえ合っていなくても、それに合わせるしかないのである。 人間はそれを、自分が持っている自分の感じ方や感覚の習慣としてこなして行く以外に無いのである。そしてこうしたことが常習的となり、クセとなり自分の感性となっているのである。そしてこれを自分のものとして、肉体の動きや感覚の感じ方として習得してゆくのである。 自分にはそれしかなく、それ以外の者になれず、なろうともせず、なることも出来ないのである。それが自分にとって最もラクだし、だれもがそうしているし、また、そうである以上、それを壊して「みんなの和」を乱すことがあってはならないのである。そしてこれが、この世界の秩序であり、作法であり、正義なのである。 |
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