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3、境界。


しかしまた、この意識と無意識の境界は限りなく曖昧なのであって、それらは互いに行き交い、乗り移り、入れ替わり、変換しあっているのである。自分というのが、自分自身のタマシイの世界に迷い込んで交信し、交感し合っているのである。 

そうして自分が自分であろうとしている。そしてこれが自分の中にある無意識の世界であって、それが何かの弾みでふっと、自分自身の魂(たましい)の世界をのぞき込んでしまうのである。

初夏の朝の少しひんやりした清々(すがすが)しい感じ。あるいはまた、春の白い靄(もや)に包まれた薄く白い風景。日本ではこれは春の風景であり、適度な気温と熱くも寒くない、そして水蒸気が豊かな季節である。

地表から天空に向かって空全体が白い薄モヤに包まれた、冬の終わりと夏の始まりの間の季節である。


戻る。                     続く。


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