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2、重複。


従ってまた、赤・青・緑による色の合成という考え方自体は、ニセモノの「マヤカシ」に過ぎないのである。それは重複しているのであって、混沌としていて錯綜し、そして何もかもが連鎖しているのである。

網膜内部での色の合成というのは、このような全体として一つとしての網膜の、働きの一部分、その断片、その瞬間の出来事に過ぎないのである。だからまた、それだけを切り取ってきて「合成」しているとは言い切れないのである。また言い得るものでもないのである。

それは色の合成以前のところで、網膜が、色自身をそのようにして表現してきたのである。そしてこの色が重複し錯綜したところを、別の意味を持つ色として意識しているのである。

人間の網膜は、このようにして自分の外の世界を意識し、識別してきたのである。そうして色というのが識別され、区別され、生み出されてきたのである。そしてこれが始まりなのであって、このような混沌の中から必要に迫られて、「色」という考え方が意識されてきたのである。


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