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従って、またそれは、どこまで行っても「マヤカシ」に過ぎず、誤解であり錯覚なのである。しかしまた、錯覚であったからこそ、それが観念化され得たのである。頭の中で自由に自分の感じ方として、それが思考として成り立つことができたのである。 しかしまた、この色覚については、もっとよく考えなければならない。もちろんそれは、他のすべての感覚についても言えることなのであるが・・・。要するに、人間の思考パターンというのが、人間同士の間で画一化・均質化する傾向がある、ということである。 もちろん、そうすることで他人に対して何かを伝えたり、理解しやすくししたり、共感したり、共有しやすくしているのである。だからまた、社会が全体として均質化して行くのである。しかしまた、そうすることで、それが社会全体として共有され、交流もし合い、共感して行くのであって、そしてまた、そうしたことを可能にしてもいるのである。 |
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