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5、レッテル。


まただからこそ、それが底辺であるにもかかわらず、「フツーの人」という主流派の大多数の人間集団の中で、安住することが出来るのである。自らが、自分たちよりももっと底辺の下の者を作り出すことによって、そこから這(は)い出て行こうとするのである。ある。そしてこのような差別化が、自分の立場と存在理由を作り出しているのである。

自分が置かれている状況から出て行くには、それ以外に方法がないのでだからまた、好き嫌い、良し悪に関係なく、そういう人間を作らなければならないのである。反論の余地のない弱点とは、つまり「生まれつき」そうだというレッテルである。

障害者、私生児、ブラク、半島系などがそうである。これらはすべて人間が意図的にねつ造し作り出した者である。そんな者は世の中に存在しない。それは着ている人間の服と同じで、後からムリヤリ着せて、押し付けて、思い込まされている偽りの世界なのである。

それは着ている服と同じで、中身は何も変わりがないのである。変わりようがないのである。まただからこそ、ありもしないレッテルを貼りにくるのである。それは貼る側の都合だけなのである。また自分がそのような立場にいる限り、そのようにしか見えないのである。


戻る。                     続く。


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