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4、背景。


表面的な上辺を取り繕うだけで、すべてが解決するし、認めてもらえるものと勘違いしている。要は、レベルというのがあまりにも低すぎるということなのである。そしてこのような内面的な評価というのが全くなされず、またそれが不必要で意味のない世界を生きているのである。

このような人間を生み出したのは、本人というよりも、むしろその背景にこそ原因があるのであって、まわりの環境とそのシステムがそれを求めているのである。そして、これがその社会の文化のレベルだということである。

それは、表面的な見える形式だけを変えても、何も変わらないということなのである。そして何よりもケイサツと行政による法律の執行が主観的なのである。主観的というのは、当事者の思い込みや偏見が最大現に反映されるということである。

その社会の習慣や馴れ合い、「自分たち」の前例によってほとんど拘束されるということである。そうであるはずだし、そうでなければならないし、それ以外にあり得ないというワケである。そして、これが法律を執行する者にとっての正義になっているのである。


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