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なぜか? 自分の現実とは、自分と外の世界との係わり方だからである。それは物理的・現実的な刺激を通してのみ得ることが出来るものだからである。ではなぜ、このような刺激の強弱といったものが、ただそれだけで、なぜそれが自分にとって意味のあるものとして感じられてくるのだろうか? それは始め、なんら意味というのを持たない物理的な現実の刺激に過ぎなかったのである。ただ単に刺激の強弱だけの世界なのである。要は、このような世界の中で、それがどうして心地よいとか、ワケもなくうれしくなったり、気難しくなったり、憂欝になったり、わずらわしくなったりするのか、ということなのである。 始め物理的な刺激にすぎなかったことが、それがどうして、心理的な精神内部のリズムとして感じられてくるのか、ということなのである。 |
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