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これを、たとえば楽器にたとえて見るならば、楽器が奏でる音というものを、音の最小単位としての音符にまで分解すると、それ自体になんの意味もなく、ただの雑音に過ぎないである。 しかし、これを音節にまで拡張し、メロディーとしての時間的に連続した音のパターンとして繋いでゆくと、その中に独自の自律性が認められることがある。そしてこれが音楽なのである。ただのバラバラで無意味な音の集まりではない、ということなのである。 これは、人間の感覚についてもそのまま言えることであって、個々の感覚の刺激自体にはなんの意味もないのであるが、それが自分の中で自律した情緒の営みとして感じられている、ということなのである。 |
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