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ただそうやって自分を確かめている。もっと正確にいうと、そうやって自分を確かめることが出来るのである。つまり、そうやって、確かめることが出来たと、思えることが何よりも大事なのである。 この意味でそれは、理由がハッキリしない自分がだれであるかを教えてくれるし、それを自覚させてくれる場面となっているのである。だから、これこそが何よりも大切なことであって、そうした行為自体に大きな意味があるのである。 理由が不明な自分の存在に対して、何かしらの意味と理由を与えてくれるのである。たとえ、それがウソでも、誤解でも、錯覚であっても、そんなことは本人にして見ればどうでも良いことなのである。そして、ただそれだけが本人にとって、何よりも大事なことなのである。 |
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