index< 日誌 < aa暗示< 22-52「早朝の風景――影のない世界」p7 |
だから、どこから見ても、光は自分と物体の間を見つめ合っていて、物体いつも同じ顔をしている。個性がない。内的な自律性と必然性が感じられないのである。しかしまたそれは、それを見ている自分自身の精神の世界を映しだしているのである。 見える世界の風景といったものが、生きている自分とは、なぜか別の世界の出来事のように思えてくるのである。自分が見えず、確かめられず、自分を喪失しているのである。未知の世界で、ためらい、戸惑い、さ迷い、ぼやけてぼんやりしたまま、定まることなく移ろい続けているのである。 見える風景の中に、光の方向がないというは、この現実に前も後ろもなく、前進も後退もなく、表も裏もなく、表面も内面もないということなのである。すなわち、時間が止まったような、変化のない世界なのである。 少なくとも、そのように見えるし、感じられもしてくるのである。人間の意識の世界から躁と鬱が消えて平均化されている。ネガもポジもなくなっている。のっぺりした感情の消えた世界なのである。 |