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6、意識する自分。


それは仕草なのであって、そうやって自分で納得している。そして、この納得するということが、自分にとって何よりも大切なことなのである。そして、それを行為としての自分の仕草で表して確かめている。そうした意味でこれは初歩的な「儀式」なのであって、内実を欠いた表面的な形式なのである。

始まりは、神経と血流の活性化という必要から始まっているが、やがてそれよりも、このような行為自体がそれだけで自分にとって大きな意味を持つようになっているのである。自分を確かめ、自分が自分であろうとしている、という意味でそうなのである。

行為が本来の目的を離れて、行為自体が自分いとって大きな意味を持つようになっているのである。自分自身に対してだけでなく、相手やその集団全体にとってのコミュニケーションと人間関係のあり方としてそうなのである。

集団にとっての空気や雰囲気、無言の合意、暗黙の共有意識としてそうなのである。要するに、これがこの集団の人間関係の絆(きずな)になっているのである。


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