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5、必然性。


たしかにそれは空想なのかも知れない。しかしそれは根拠のある空想なのである。理由と目的、そして動機のハッキリした空想なのである。現実にそれがないという意味で、それは空想でもって表現されるしかなかったものなのである。

そうするしかなく、そうしてのみ自己を表現できたのである。しかしそれは、たとえ思いつきや気まぐれ、偶然の出来事に過ぎなかったとしても、そうしたこと自体が、それ自体で自律した必然の原理に基づいているのである。

そうした意味で、それは現れるべくして現れたのであり、現れるしかなかったのであり、そしてそれはまた、それこそが自分自身の精神のすがただったのである。そして実は、このような必然性こそが「方向性」なのである。

すでに自分自身の中に動機や目的、理由といったものが出来上がってしまっている以上、そうした存在は、一定の限定され制約された方向性を持たざるを得ないのである。


戻る。                     続く。


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