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3、理由。


錯覚、あるいは象徴や印象、サイン(合図)としてそうなのである。あるいは、何かしらの失われていた様々な無限の広がりを持つ、記憶の痕跡の寄せ集めだとしても、やはりそうなのである。

暗示や象徴の世界がそうなのである。そうしたことを私たちは、現実の目に見える世界を通して見ているのである。そうして自分の中の自意識の世界を見ているのである。

自分の中の原理の必然性が、それを求めていて、必要とし、そしてそれが自分の前提になっているのである。あるいは、自分自身の存在理由として、そしてまた、自分が生まれてきたところの種としてのタマシイがそれを求めているのである。


戻る。                   続く。


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