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私たち人間は――動物もそうであるが――、他人の感情や心情とといったものを、どうして知ることが出来るのだろうか。それがどういう訳(わけ)で、自分にも共通のものとして共感したりすることができるのだろうか。 それは前回で説明した通りである。それは、我々人間というのが、だれもが同一のシステムを採用していて、この同一の種という共通の前提と条件の下に生きているからである。 従ってまた、だからこそ人間同士の間で心情的な共通性を持ち得るし、あるいは反感や反発を覚えたりもするのである。共感も反感もその根底にあるのは、同じの種としての共通性があってこそなのである。 だからこそ、他人の情緒や感情といったものを感じとることが出来るし、共有することもできるのである。言葉や表情や仕草、また、習慣や信仰などといったことを共有し、そうしてお互いが理解することが出来るのも、このためなのである。そしてまた、それを基にして、社会といったものを形成することができたのである。 |
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